「連想ピラミッドバトン」
12ダースさんのt+errorさんのとこから拾ってみました。面白そうだから。
◇やり方
◆まず適当に「い」で終わる形容詞を8つ書き出します
◆隣り合う二つの形容詞から連想する言葉を、その下に計7つ書き出します
◆例)美しい 白い 寒い 面白い…
肌 雪 駄洒落…
◆同様にして次は6つ、その次は5つ…という風にピラミッド式に連想を続けます
◆最後に連想した言葉が1つになったら完成です
白い 美味しい 寒い 丸い 等しい 明るい 濃い
氷 雪 地球 幾何学 部屋 光
冬 双極 地動説 プラネタリウム 蛍光灯
南北 大陸 天球儀 人工物
白い熊 ロマン主義 目玉
書斎 ホフマン
オリンピア
2:この逆ピラミッドは下にある言葉ほど、 あなたにとって大きなテーマだと考えられます。
自分の作ったピラミッドをみてどうですか。感想をどうぞ。
あー、自分が人形に取り憑かれているのは判った気がする。
「幾何学」と「部屋」で何故「プラネタリウム」になるのか、「白い熊」と「ロマン主義」で何故「書斎」になるのか、等等……は、自分でも謎。
何て言うか、オートマティスムの試みみたいで面白い事は面白い、でもこれは無意識の自由な活動ではないなー、とか下んない事を思う。
ところで、底辺には「冷たい」ような形容詞が並んでいるのに、頂点の方へ行けば行くほど、暖かいイメージになるのは何故。オリンピア(あるいはコッペリア)は人形なんだから冷たかろうに、暖かいどころか炎のイメージ。
3:バトンを回す5人
拾おうと拾うまいとご自由に。
12ダースさんのt+errorさんのとこから拾ってみました。面白そうだから。
◇やり方
◆まず適当に「い」で終わる形容詞を8つ書き出します
◆隣り合う二つの形容詞から連想する言葉を、その下に計7つ書き出します
◆例)美しい 白い 寒い 面白い…
肌 雪 駄洒落…
◆同様にして次は6つ、その次は5つ…という風にピラミッド式に連想を続けます
◆最後に連想した言葉が1つになったら完成です
白い 美味しい 寒い 丸い 等しい 明るい 濃い
氷 雪 地球 幾何学 部屋 光
冬 双極 地動説 プラネタリウム 蛍光灯
南北 大陸 天球儀 人工物
白い熊 ロマン主義 目玉
書斎 ホフマン
オリンピア
2:この逆ピラミッドは下にある言葉ほど、 あなたにとって大きなテーマだと考えられます。
自分の作ったピラミッドをみてどうですか。感想をどうぞ。
あー、自分が人形に取り憑かれているのは判った気がする。
「幾何学」と「部屋」で何故「プラネタリウム」になるのか、「白い熊」と「ロマン主義」で何故「書斎」になるのか、等等……は、自分でも謎。
何て言うか、オートマティスムの試みみたいで面白い事は面白い、でもこれは無意識の自由な活動ではないなー、とか下んない事を思う。
ところで、底辺には「冷たい」ような形容詞が並んでいるのに、頂点の方へ行けば行くほど、暖かいイメージになるのは何故。オリンピア(あるいはコッペリア)は人形なんだから冷たかろうに、暖かいどころか炎のイメージ。
3:バトンを回す5人
拾おうと拾うまいとご自由に。
2008.08.20 ▲
一人旅で新潟行ってきました。
マジで、ただ単に行ってきただけです。観光も何もしてません。
誰かが言っていた「新幹線は、ワープだよ」てのは本当なんだなぁ、と思っただけ。むしろトンネルだらけで景色すら楽しめなかったよチクショウ。
だって大雨なんだもん。
僕、夏風邪が治りきってないんだもん。
……泣いて良いかなぁ?
マジで、ただ単に行ってきただけです。観光も何もしてません。
誰かが言っていた「新幹線は、ワープだよ」てのは本当なんだなぁ、と思っただけ。むしろトンネルだらけで景色すら楽しめなかったよチクショウ。
だって大雨なんだもん。
僕、夏風邪が治りきってないんだもん。
……泣いて良いかなぁ?
2008.08.19 ▲
先日、僕と精神科医との微笑ましい攻防・第五回戦を終えて参りました。
そう、ご覧の通り不定期に通ってます。不安定な時にだけね。
精神科とかに興味のある方は追記をドウゾ。
そう、ご覧の通り不定期に通ってます。不安定な時にだけね。
精神科とかに興味のある方は追記をドウゾ。
2008.08.13 ▲
えー昨日のサイコパチーな記事は削除しました。完全じゃありませんが、気分的に多少は復活したので。
理由→ジェンダー関連の重苦しい本を読みきったから。
何だコレ。
……まぁ後でレヴューでも書きますが。
僕に必要なのは、女性性でも男性性でもなく、「モジュールであること」。あるいはサイボーグであること。交換可能な身体を得、自己を脱性化するのです。あるいは、以前は拒否した「存在の電子化」をしてしまって、人間だの心理だの利益だの権威だの今まで築き上げてきたもの総て無効な世界を構築しちまえ。
人間辞めても良い、こんな下らない事で戦争だの抑圧だのを論じずに済むんなら。
と、結論づいたのでカオスから抜け出られたのだと思う。
ああしんどいめんどい厄介この自己。
理由→ジェンダー関連の重苦しい本を読みきったから。
何だコレ。
……まぁ後でレヴューでも書きますが。
僕に必要なのは、女性性でも男性性でもなく、「モジュールであること」。あるいはサイボーグであること。交換可能な身体を得、自己を脱性化するのです。あるいは、以前は拒否した「存在の電子化」をしてしまって、人間だの心理だの利益だの権威だの今まで築き上げてきたもの総て無効な世界を構築しちまえ。
人間辞めても良い、こんな下らない事で戦争だの抑圧だのを論じずに済むんなら。
と、結論づいたのでカオスから抜け出られたのだと思う。
ああしんどいめんどい厄介この自己。
2008.08.09 ▲
ついに体重が46kg切りしてしまいました一条ですこんばんは。
夏だから、食が細くなって困ります。ふと立ち上がれば貧血。
ホウレンソウのおひたし、卵、豆腐、コメ……朝飯か?!というような夕飯を口にしております。
夏だから、食が細くなって困ります。ふと立ち上がれば貧血。
ホウレンソウのおひたし、卵、豆腐、コメ……朝飯か?!というような夕飯を口にしております。
2008.08.05 ▲
某市のVolks(プラモとかドールとかSDとか製造・販売してるとこ)に行った。
恥ずかしいというか情けないと言うか、もう何とも言い難いくらい馬鹿らしくて異常な事だと判ってはいるが、僕は五年も昔にVolksで見た、否「出会った」、ある人形(スーパー・ドルフィーというんだが、分類的にはフィギュアと同じなのか?)に「恋して」いる。異常だと判ってるってば……。
今回は他に用事があったついでにVolksに寄ったのだが。それでもVolksに行けば、必ず彼女の前で暫し……じっと彼女に見入っている。
しかし。今回は、何だか変だ。直前に例によって例の如く、頭の具合の発作に襲われたせいか、感覚が普段と違う。
そもそも、入店した時点で変な直観があったんだ。
ここは娼館だ。と。
白いレースのカーテンで飾られた「展示台」に、揃いの白い下着だけの格好で、つまりは半裸だ、その思い思いの姿態で、人形の「少年」と「少女」たちが「客を引いている」。半裸が何れだけの蠱惑を秘めているのか、判ってるんだ。造り物の関節、硬い肢体、異常に細い首筋、不完全であるが故に、完全な理想を呼び込め、閉じ込めるんだ。無垢な目で、媚びた目で、硝子の目で、見る者・つまり客を誘っているんだ。
女衒は、こいつらの魅力と倒錯者のツボを十分に心得ているんだ。
異常だ。これは異常だ。これは娼館だ。合法的娼館だ。合法的なら異常ではないとでも言うのか? 合法的な性というものが、どれほど正常なのか、教えて頂きたいものだね。 それに彼女らのボディには、あの合成樹脂のボディには、幼い乳房もあれば割れ目もあるんだぞ?
吐き気がした。
そうした目で見ると、あの人形が、他の人形と違って人間的表情など排した白痴美のあの人形が、ひどく人間的に見えて、媚びすら伺えて、超然たるところなど何一つ無い、理想の片鱗すら失って、ただの肉に似て、見えた。
やっぱり、純然たる人工物がいい。
恥ずかしいというか情けないと言うか、もう何とも言い難いくらい馬鹿らしくて異常な事だと判ってはいるが、僕は五年も昔にVolksで見た、否「出会った」、ある人形(スーパー・ドルフィーというんだが、分類的にはフィギュアと同じなのか?)に「恋して」いる。異常だと判ってるってば……。
今回は他に用事があったついでにVolksに寄ったのだが。それでもVolksに行けば、必ず彼女の前で暫し……じっと彼女に見入っている。
しかし。今回は、何だか変だ。直前に例によって例の如く、頭の具合の発作に襲われたせいか、感覚が普段と違う。
そもそも、入店した時点で変な直観があったんだ。
ここは娼館だ。と。
白いレースのカーテンで飾られた「展示台」に、揃いの白い下着だけの格好で、つまりは半裸だ、その思い思いの姿態で、人形の「少年」と「少女」たちが「客を引いている」。半裸が何れだけの蠱惑を秘めているのか、判ってるんだ。造り物の関節、硬い肢体、異常に細い首筋、不完全であるが故に、完全な理想を呼び込め、閉じ込めるんだ。無垢な目で、媚びた目で、硝子の目で、見る者・つまり客を誘っているんだ。
女衒は、こいつらの魅力と倒錯者のツボを十分に心得ているんだ。
異常だ。これは異常だ。これは娼館だ。合法的娼館だ。合法的なら異常ではないとでも言うのか? 合法的な性というものが、どれほど正常なのか、教えて頂きたいものだね。 それに彼女らのボディには、あの合成樹脂のボディには、幼い乳房もあれば割れ目もあるんだぞ?
吐き気がした。
そうした目で見ると、あの人形が、他の人形と違って人間的表情など排した白痴美のあの人形が、ひどく人間的に見えて、媚びすら伺えて、超然たるところなど何一つ無い、理想の片鱗すら失って、ただの肉に似て、見えた。
やっぱり、純然たる人工物がいい。
2008.08.05 ▲
逃亡したい。
どこでもない場所へ、どこでもない場所に、ずっとずっと彷徨していたい。
現実はどこまでもついてくる。寄り添ってくる。
そいつを振り切るために、たったひと時でも振り切るために、逃亡したい。
それでも、そいつは既に・そして今後も、僕を捉えて放しはしない。
判っていても、それでも、僕は逃げを打つ。
どこでもない場所へ、どこでもない場所に、ずっとずっと彷徨していたい。
現実はどこまでもついてくる。寄り添ってくる。
そいつを振り切るために、たったひと時でも振り切るために、逃亡したい。
それでも、そいつは既に・そして今後も、僕を捉えて放しはしない。
判っていても、それでも、僕は逃げを打つ。
2008.08.03 ▲
7月の読書記録
【美術】
モーリス・ナドー『シュールレアリスムの歴史』稲田三吉訳 思潮社 1995(これは改訂版で、66年に同じく思潮社から出版されています)
訳がへたくそだと言って良いよな?良いよな?
第一、シュ「ー」ルレアリスムと訳してる時点で何か変だよ……。伸ばすなよsurだろ。Surrealisme(化けるのでeと書きましたが、ほんとは頭にちょんがついてるe。名前知らないけどあのe。ピンインで言うなら、四声のe)。
ハイフンは入っていないので、「シュル・レアリスム」も不可です。だって、「超・現実主義」って意味になっちゃいますよ。微妙な気分になるじゃないですか。現実主義を徹底した主義みたいで。現実を超えるから超現実主義なんですよ。
ちなみにフランス語なので、シュルレアリ「ズ」ムも不可です。半分フラ語・半分英語読みなんかすると、巌谷國士先生に怒られますよ。ちなみに英語だとSurrealismになるらしい。
ああ、そういえば、訳者がへたくそだって話を全然しませんでしたね。直訳じみた気持ち悪い文章が散見されます。それだけかい、という感じですが、こうも気持ち悪い文章が多いと、一言言いたくもなりますよ。
筆者は筆者で、アンドレ・ブルトン崇拝に近いものがあるので、僕は嫌いというより気持ち悪く感じました。ブルトン先生は、苦手。その崇拝者も、苦手。ベルメールは「破門」されていないと思ったけれど、元から中期以降からの参加だし、大して重要なとこにいないし、それ以前にダリという素晴らしきペテン師(とか書くと怒られるかなぁ……)の登場があって、そっちに持っていかれている感じだから、ぶっちゃけ影が薄いんだと思う!!w
【学問ぽい方面】
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健訳 筑摩書房 2004
再読してたやつです。酒井先生は、訳が上手だよなぁ……。
酒井健『バタイユ入門』(新書) 筑摩書房 1996
異常に懇切丁寧なバタイユ読解の指南書って感じでした。新書としては素晴らしいんじゃないでしょうか。哲学なんてかじりかけくらいだよって人にも十分に理解できるように、専門用語は極力避け、必要な場合は簡単な説明を添えて用いる、と。なんつーか、そっちの専門家が書いたっていうより、教育者が書いた感じ。
しかし、悲しいかな、気がつくとこの人のバタイユ読解に染まってしまっています……。丁寧で優しい教え方だから、余計に浸透し易いんだよね……。
この本のレビューで、「別の切り口でバタイユを論じる人はいないのか?」とかいう意見もありましたが、だったら自分でやれとか、言って良いですか?良いですか? 他人の努力に期待する以前に自力でやれ、と。探すにしても、論じるにしても。
もっと別な切り口で論じて欲しかった、という感想自体には文句無いんですけど、言葉というか、言い方に驕りがあって気持ち悪い。
ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』山本功訳 紀伊国屋書店 1959
バタイユが編者やってた『クリティク』誌に掲載された書評を編集したブツです。
書評というより、文学と文学者の批評を通して彼の思想を開陳している感じのブツです。
え、嫌いじゃないよ、というか好きだよ? サルトル嫌いが加速したけど。
種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』平凡社 2004
種村さんの本は、澁澤と同系統なエッセイと、ベルメールの翻訳以外では、初めて読みました。
印象。「うーわーこの人、斜に構えるフリしてるけど、きっと中身はちゃんと学者さんw」。僕は舐めくさっているのでしょうか。
ザッヘル=マゾッホ、すなわちマゾヒズムの名の由来になった人の伝記であるはずなんですが、社会背景やドゥルーズ御大等の分析も交えつつ、深く丁寧に論じています。伝記というより、もはや思想や哲学が垣間見えます。
初出が78年だと思うんですが、それってドゥルーズ御大の『マゾッホとサド』が翻訳されてから僅か数年。しかも、その批評との適切な距離を取っているからには、かなりしっかり読み込んだと思われる(種村さんは独文学者だからきっと原文で読んだんだろう)。いやー、やっぱり学者さんて自分の専門分野に対しては非常に敏感ですね。「マゾヒズム」を創りだした精神医学者クラフト=エビングの功罪……というか罪悪??についても、鋭いです。
しかし、日本の人が書いた本って、なんでこんなに読み易いんだろうね……最近翻訳ものばかり読んでるからか。
ダナ・ハラウェイら。『サイボーグ・フェミニズム』巽孝之・小谷真理編
容赦なさ過ぎ。予備知識ゼロでは絶対に読めません。第一、キータームの「集積回路上の女性」についての説明も無いんですが。かといって、参照しようとすると洋書かよ洋書……ええ僕は腰抜けですよ、英語読めませんよ。
一体、どんな層の読者に対して書かれたのでしょう。ジェンダー学者さん? ソレにしては、編者の意図が読めないぞ、と。これで扱った「サイボーグ宣言」を理解できる予備知識を持っている人は、間違いなく英語等の他言語で読める人、つまり原文で読める人なので、翻訳の必要ないんじゃ……(研究者はどうせ一次資料にあたらなければならないから)。一般に浸透させたいなら、よく使われる用語の出典も翻訳するとか、せめてもっと詳しい注釈いれるとか、したらどうなんだ……。
巽氏は『人造美女は可能か』という本も書いてらっしゃるんですが(僕は未読)、えー、つまり、フェミニズムの問題じゃなくて、身体論の話なのか??という印象でした、まる
生田耕作『滅びの文学―バタイユとセリーヌ―』白水社 1988
バタイユ教信者は結構居るんですよね、意外と。しっかし、デリダとかフーコー御大とか。構造主義の権威を化石学者みたいな言い方をするたぁ、勇気あるなぁ。生田さんもバタイユも、化石学者な面は持ち合わせとるのに。しかし、そういう所が好きです、この人。
あまり著作は知りませんが、翻訳ものは生田さんのものに偶然ぶち当たる、なんてことも。僕がマンディアルグ読んだ時は、多分全部生田さんの訳じゃなかったかなぁ。
しかし。生田さんはブルトン大先生を評価してらっしゃるんですが、僕はブルトン大先生が大ッ嫌いです。なので、折角序文でブルトンの名前を出したからには、その評価の理由が聞きたかったなぁ。僕は、ブルトン先生の「両手にピストル……」じゃ、何も壊せないと思ったんですよ。フロイト心理学の表皮をかぶった「意識の」作業である自動筆記じゃあ、無意識を汲み上げられないと思ったんですよ。ツァラの「すべてに反対だ」の方が、まだ、希望がある気がしたんですよ。
えーと、感想、感想……セリーヌの破天荒振りに興味が湧きました、でも、僕にはきっとできないなとおもいました、まる。
【小説】
河野多恵子『赤い脣 黒い髪』新潮社 1997
気紛れ・表紙の印象だけで借りてきました。
あーこういう手法もアリなんだなー、という感じの短編集。フェティシスム。
ジョルジュ・バタイユ『青空』天野退二郎訳 晶文社 1968
バタイユ月間ですか、という感じにまたもバタイユ。うーん、相変わらずのぶっ飛びっぷり。眼球譚は、最初ドン引きしましたよそりゃ。いやむしろ、彼がそれを求めてるんです。人がこれを恐れ、これに吐き気を覚え、これを忌避するように仕向けているのです。何故なら、彼は人間のそういう感情をこそ剥き出しにする事を期したからです。
……自分で書いてて訳が判らなくなりました。
でも文学の未來予測なんて、価値判断に対してなんの影響も無いと思うんで、それを誇るのは辞めて欲しいな、と訳者に思う。僕は歴史屋として、未來予測には否定的です。
澁澤龍彦『エロスの解剖』
……解剖じゃねぇ。エロティックな、というか……ポルノグラフィックなエッセイ集だとか言って良いか、良いか、良いよな、というか何このアンチ・フェミニズム。澁澤さんは、女性が怖かったのでしょうか、とたまに思う。
澁澤さんはエッセイの魔術師だとは、思います。しかし、決して学究にも芸術家にもなれない・あるいはならない人でしょうね。そこが種村さんや滝口さんとの違いだと思いました。巌谷さんは、多少立場が近いかな……? でもあの人は一応学者肌だよなぁ。
僕が歳を喰う毎に、澁澤さんは学究にも芸術家にも徹せず、むしろそれらが生み出すモノを享楽する消費者にして紹介者・他者にも消費を勧める者である、という印象が増してきています。小説もものしてらっしゃいますが、僕はあまり評価できない。
そして、澁澤さんの評価がどんどん落ちてきています。高校時代は好きでしたが、今や彼に対して、迷妄・固陋・反動的・スノッブ……何でも言えてしまう。そりゃーねー、多少古いのは仕方ないけどさー、バタイユの新しさを目の当たりにした直後に澁澤さんを読んでご覧よー、凹むから。彼は、知識に振り回されている部分がある。あるいは、自分の嗜好に、か?
アン・マキャフリィ『歌う船』酒匂真理子訳 東京創元社 1984
えー『サイボーグ・フェミニズム』で誰かが、「マキャフリィはシュガー・キャンディ。しょーもないとわかっていながら、食べてしまう」と言っていたので、読んでみました、しょーもないスペース・オペラ。
えー。しょーもなかったです☆ つっこみどころ満載です。気持ち悪い。何というか、甘ったるい恋愛ファンタジー小説を未來の世界に持っていってみました程度。
兄から聞いたのですがね、昼間にやってる石けん等のCM、数十秒の寸劇。アレがまずソープ・オペラと呼ばれ、60年代頃アメリカで量産されたしょーもないSFもどきはソープ・オペラ程度という揶揄を込めてスペース・オペラと呼ばれたそうです。
嘘かもしれません。
シャロン・シン『魔法使いとリリス』早川書房 2003
またしょーもないものを読んでしまった……。
タイトルや表紙で選ぶもんじゃねぇ。
J.M.スコット『人魚とビスケット』清水ふみ訳 東京創元社 2001
奇妙なタイトルですが、海洋冒険ものにしてミステリもの。ええ両立されてますよ。途中で読者(僕)がミステリであることを忘却してましたが。描写に引き込まれます。力強い。
「人間てこんなに残酷になれるんだ」的な話、というよりも、白人の黒人恐怖と男性の女性崇拝、という二つの幻想が際立って見えました。No.4は、不気味な化け物にして「他者」でなければならず、人魚は、「人間」であり聖女でなけりゃならなかったんです。彼と彼女は対局に居ますが、どちらも排除された人なんです。
ジャン・ジロドゥ『オンディーヌ』二木麻里訳 光文社 2008
去年、莉子さんと行った劇団四季の『オンディーヌ』がまざまざと蘇る。
軽妙にして深い、悲劇なのにウィットがそれを救っている。時間の「操作」もジロドゥの演出だったんですなー。
フーケーの『ウンディーネ』を下敷きに書いた、という話を真に受けてましたが、巻末の解説を信ずるのであれば、フーケーは20代の頃、たった一度しか、『ウンディーネ』を読んでいないそうです。……それにしては異常にそっくりだよなぁ。でもまぁ、他にも水の妖精伝説は多くあるから何とも言い難いけれど、ベルタとベルタルダとか……ごにょごにょ。
いや、そっくりといっても、配役や流れだけの話で、意味するところは正反対ですよ。
『ウンディーネ』は、「人間の魂」を神聖視し、自然というアウトサイドに属するウンディーネは「魂を持たない」存在です。水の精たちは不気味で恐ろしい存在です。ウンディーネは人間の魂を分ち与えられると、とたんに理性的で慎み深い女性に変貌します。それ以前のぶっ飛んだ・透明な破天荒はどこへやら。
『オンディーヌ』は、逆に人間は自然の大いなる魂を細分化して私物化しちまったせいで、ちっぽけな存在に堕し、大いなる魂を他の存在たちと共有するオンディーヌは、崇高な存在です。オンディーヌは最初から最後まで、透明で無邪気で賢くて愚かな、人間には異質な少女のまんまです。
『ウンディーネ』では、オットーヴァイニンガー流の「男性=理性=神聖」「女性=非理性=低俗」という構図が透けて見えます。
『オンディーヌ』では、「男性=理性=堕落」「女性=非理性=神聖(あるいは「瀕死の理性」の救済者)」という、丁度ジロドゥの時代のオリエンタリズムに似た構図が浮かび上がります。(そういやぁ、ブルトンさんも薄ぺらい神秘主義だったなぁ……)
甲乙つける気はありません。どっちも幻想です。
しかし、第三幕のハンスの負け犬の告白は好きだ!!w
ところで、フランス語はHの発音が無いはずなんですが(例外はありますがね)、ハンスはどのように発音されるのでしょう。アンス?
頑張ったよね、と思って振り返ればたかが14冊。嗚呼、読むの遅い。
Back Issue→Juni→Mai→April
【美術】
モーリス・ナドー『シュールレアリスムの歴史』稲田三吉訳 思潮社 1995(これは改訂版で、66年に同じく思潮社から出版されています)
訳がへたくそだと言って良いよな?良いよな?
第一、シュ「ー」ルレアリスムと訳してる時点で何か変だよ……。伸ばすなよsurだろ。Surrealisme(化けるのでeと書きましたが、ほんとは頭にちょんがついてるe。名前知らないけどあのe。ピンインで言うなら、四声のe)。
ハイフンは入っていないので、「シュル・レアリスム」も不可です。だって、「超・現実主義」って意味になっちゃいますよ。微妙な気分になるじゃないですか。現実主義を徹底した主義みたいで。現実を超えるから超現実主義なんですよ。
ちなみにフランス語なので、シュルレアリ「ズ」ムも不可です。半分フラ語・半分英語読みなんかすると、巌谷國士先生に怒られますよ。ちなみに英語だとSurrealismになるらしい。
ああ、そういえば、訳者がへたくそだって話を全然しませんでしたね。直訳じみた気持ち悪い文章が散見されます。それだけかい、という感じですが、こうも気持ち悪い文章が多いと、一言言いたくもなりますよ。
筆者は筆者で、アンドレ・ブルトン崇拝に近いものがあるので、僕は嫌いというより気持ち悪く感じました。ブルトン先生は、苦手。その崇拝者も、苦手。ベルメールは「破門」されていないと思ったけれど、元から中期以降からの参加だし、大して重要なとこにいないし、それ以前にダリという素晴らしきペテン師(とか書くと怒られるかなぁ……)の登場があって、そっちに持っていかれている感じだから、ぶっちゃけ影が薄いんだと思う!!w
【学問ぽい方面】
ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健訳 筑摩書房 2004
再読してたやつです。酒井先生は、訳が上手だよなぁ……。
酒井健『バタイユ入門』(新書) 筑摩書房 1996
異常に懇切丁寧なバタイユ読解の指南書って感じでした。新書としては素晴らしいんじゃないでしょうか。哲学なんてかじりかけくらいだよって人にも十分に理解できるように、専門用語は極力避け、必要な場合は簡単な説明を添えて用いる、と。なんつーか、そっちの専門家が書いたっていうより、教育者が書いた感じ。
しかし、悲しいかな、気がつくとこの人のバタイユ読解に染まってしまっています……。丁寧で優しい教え方だから、余計に浸透し易いんだよね……。
この本のレビューで、「別の切り口でバタイユを論じる人はいないのか?」とかいう意見もありましたが、だったら自分でやれとか、言って良いですか?良いですか? 他人の努力に期待する以前に自力でやれ、と。探すにしても、論じるにしても。
もっと別な切り口で論じて欲しかった、という感想自体には文句無いんですけど、言葉というか、言い方に驕りがあって気持ち悪い。
ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』山本功訳 紀伊国屋書店 1959
バタイユが編者やってた『クリティク』誌に掲載された書評を編集したブツです。
書評というより、文学と文学者の批評を通して彼の思想を開陳している感じのブツです。
え、嫌いじゃないよ、というか好きだよ? サルトル嫌いが加速したけど。
種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』平凡社 2004
種村さんの本は、澁澤と同系統なエッセイと、ベルメールの翻訳以外では、初めて読みました。
印象。「うーわーこの人、斜に構えるフリしてるけど、きっと中身はちゃんと学者さんw」。僕は舐めくさっているのでしょうか。
ザッヘル=マゾッホ、すなわちマゾヒズムの名の由来になった人の伝記であるはずなんですが、社会背景やドゥルーズ御大等の分析も交えつつ、深く丁寧に論じています。伝記というより、もはや思想や哲学が垣間見えます。
初出が78年だと思うんですが、それってドゥルーズ御大の『マゾッホとサド』が翻訳されてから僅か数年。しかも、その批評との適切な距離を取っているからには、かなりしっかり読み込んだと思われる(種村さんは独文学者だからきっと原文で読んだんだろう)。いやー、やっぱり学者さんて自分の専門分野に対しては非常に敏感ですね。「マゾヒズム」を創りだした精神医学者クラフト=エビングの功罪……というか罪悪??についても、鋭いです。
しかし、日本の人が書いた本って、なんでこんなに読み易いんだろうね……最近翻訳ものばかり読んでるからか。
ダナ・ハラウェイら。『サイボーグ・フェミニズム』巽孝之・小谷真理編
容赦なさ過ぎ。予備知識ゼロでは絶対に読めません。第一、キータームの「集積回路上の女性」についての説明も無いんですが。かといって、参照しようとすると洋書かよ洋書……ええ僕は腰抜けですよ、英語読めませんよ。
一体、どんな層の読者に対して書かれたのでしょう。ジェンダー学者さん? ソレにしては、編者の意図が読めないぞ、と。これで扱った「サイボーグ宣言」を理解できる予備知識を持っている人は、間違いなく英語等の他言語で読める人、つまり原文で読める人なので、翻訳の必要ないんじゃ……(研究者はどうせ一次資料にあたらなければならないから)。一般に浸透させたいなら、よく使われる用語の出典も翻訳するとか、せめてもっと詳しい注釈いれるとか、したらどうなんだ……。
巽氏は『人造美女は可能か』という本も書いてらっしゃるんですが(僕は未読)、えー、つまり、フェミニズムの問題じゃなくて、身体論の話なのか??という印象でした、まる
生田耕作『滅びの文学―バタイユとセリーヌ―』白水社 1988
バタイユ教信者は結構居るんですよね、意外と。しっかし、デリダとかフーコー御大とか。構造主義の権威を化石学者みたいな言い方をするたぁ、勇気あるなぁ。生田さんもバタイユも、化石学者な面は持ち合わせとるのに。しかし、そういう所が好きです、この人。
あまり著作は知りませんが、翻訳ものは生田さんのものに偶然ぶち当たる、なんてことも。僕がマンディアルグ読んだ時は、多分全部生田さんの訳じゃなかったかなぁ。
しかし。生田さんはブルトン大先生を評価してらっしゃるんですが、僕はブルトン大先生が大ッ嫌いです。なので、折角序文でブルトンの名前を出したからには、その評価の理由が聞きたかったなぁ。僕は、ブルトン先生の「両手にピストル……」じゃ、何も壊せないと思ったんですよ。フロイト心理学の表皮をかぶった「意識の」作業である自動筆記じゃあ、無意識を汲み上げられないと思ったんですよ。ツァラの「すべてに反対だ」の方が、まだ、希望がある気がしたんですよ。
えーと、感想、感想……セリーヌの破天荒振りに興味が湧きました、でも、僕にはきっとできないなとおもいました、まる。
【小説】
河野多恵子『赤い脣 黒い髪』新潮社 1997
気紛れ・表紙の印象だけで借りてきました。
あーこういう手法もアリなんだなー、という感じの短編集。フェティシスム。
ジョルジュ・バタイユ『青空』天野退二郎訳 晶文社 1968
バタイユ月間ですか、という感じにまたもバタイユ。うーん、相変わらずのぶっ飛びっぷり。眼球譚は、最初ドン引きしましたよそりゃ。いやむしろ、彼がそれを求めてるんです。人がこれを恐れ、これに吐き気を覚え、これを忌避するように仕向けているのです。何故なら、彼は人間のそういう感情をこそ剥き出しにする事を期したからです。
……自分で書いてて訳が判らなくなりました。
でも文学の未來予測なんて、価値判断に対してなんの影響も無いと思うんで、それを誇るのは辞めて欲しいな、と訳者に思う。僕は歴史屋として、未來予測には否定的です。
澁澤龍彦『エロスの解剖』
……解剖じゃねぇ。エロティックな、というか……ポルノグラフィックなエッセイ集だとか言って良いか、良いか、良いよな、というか何このアンチ・フェミニズム。澁澤さんは、女性が怖かったのでしょうか、とたまに思う。
澁澤さんはエッセイの魔術師だとは、思います。しかし、決して学究にも芸術家にもなれない・あるいはならない人でしょうね。そこが種村さんや滝口さんとの違いだと思いました。巌谷さんは、多少立場が近いかな……? でもあの人は一応学者肌だよなぁ。
僕が歳を喰う毎に、澁澤さんは学究にも芸術家にも徹せず、むしろそれらが生み出すモノを享楽する消費者にして紹介者・他者にも消費を勧める者である、という印象が増してきています。小説もものしてらっしゃいますが、僕はあまり評価できない。
そして、澁澤さんの評価がどんどん落ちてきています。高校時代は好きでしたが、今や彼に対して、迷妄・固陋・反動的・スノッブ……何でも言えてしまう。そりゃーねー、多少古いのは仕方ないけどさー、バタイユの新しさを目の当たりにした直後に澁澤さんを読んでご覧よー、凹むから。彼は、知識に振り回されている部分がある。あるいは、自分の嗜好に、か?
アン・マキャフリィ『歌う船』酒匂真理子訳 東京創元社 1984
えー『サイボーグ・フェミニズム』で誰かが、「マキャフリィはシュガー・キャンディ。しょーもないとわかっていながら、食べてしまう」と言っていたので、読んでみました、しょーもないスペース・オペラ。
えー。しょーもなかったです☆ つっこみどころ満載です。気持ち悪い。何というか、甘ったるい恋愛ファンタジー小説を未來の世界に持っていってみました程度。
兄から聞いたのですがね、昼間にやってる石けん等のCM、数十秒の寸劇。アレがまずソープ・オペラと呼ばれ、60年代頃アメリカで量産されたしょーもないSFもどきはソープ・オペラ程度という揶揄を込めてスペース・オペラと呼ばれたそうです。
嘘かもしれません。
シャロン・シン『魔法使いとリリス』早川書房 2003
またしょーもないものを読んでしまった……。
タイトルや表紙で選ぶもんじゃねぇ。
J.M.スコット『人魚とビスケット』清水ふみ訳 東京創元社 2001
奇妙なタイトルですが、海洋冒険ものにしてミステリもの。ええ両立されてますよ。途中で読者(僕)がミステリであることを忘却してましたが。描写に引き込まれます。力強い。
「人間てこんなに残酷になれるんだ」的な話、というよりも、白人の黒人恐怖と男性の女性崇拝、という二つの幻想が際立って見えました。No.4は、不気味な化け物にして「他者」でなければならず、人魚は、「人間」であり聖女でなけりゃならなかったんです。彼と彼女は対局に居ますが、どちらも排除された人なんです。
ジャン・ジロドゥ『オンディーヌ』二木麻里訳 光文社 2008
去年、莉子さんと行った劇団四季の『オンディーヌ』がまざまざと蘇る。
軽妙にして深い、悲劇なのにウィットがそれを救っている。時間の「操作」もジロドゥの演出だったんですなー。
フーケーの『ウンディーネ』を下敷きに書いた、という話を真に受けてましたが、巻末の解説を信ずるのであれば、フーケーは20代の頃、たった一度しか、『ウンディーネ』を読んでいないそうです。……それにしては異常にそっくりだよなぁ。でもまぁ、他にも水の妖精伝説は多くあるから何とも言い難いけれど、ベルタとベルタルダとか……ごにょごにょ。
いや、そっくりといっても、配役や流れだけの話で、意味するところは正反対ですよ。
『ウンディーネ』は、「人間の魂」を神聖視し、自然というアウトサイドに属するウンディーネは「魂を持たない」存在です。水の精たちは不気味で恐ろしい存在です。ウンディーネは人間の魂を分ち与えられると、とたんに理性的で慎み深い女性に変貌します。それ以前のぶっ飛んだ・透明な破天荒はどこへやら。
『オンディーヌ』は、逆に人間は自然の大いなる魂を細分化して私物化しちまったせいで、ちっぽけな存在に堕し、大いなる魂を他の存在たちと共有するオンディーヌは、崇高な存在です。オンディーヌは最初から最後まで、透明で無邪気で賢くて愚かな、人間には異質な少女のまんまです。
『ウンディーネ』では、オットーヴァイニンガー流の「男性=理性=神聖」「女性=非理性=低俗」という構図が透けて見えます。
『オンディーヌ』では、「男性=理性=堕落」「女性=非理性=神聖(あるいは「瀕死の理性」の救済者)」という、丁度ジロドゥの時代のオリエンタリズムに似た構図が浮かび上がります。(そういやぁ、ブルトンさんも薄ぺらい神秘主義だったなぁ……)
甲乙つける気はありません。どっちも幻想です。
しかし、第三幕のハンスの負け犬の告白は好きだ!!w
ところで、フランス語はHの発音が無いはずなんですが(例外はありますがね)、ハンスはどのように発音されるのでしょう。アンス?
頑張ったよね、と思って振り返ればたかが14冊。嗚呼、読むの遅い。
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2008.08.03 ▲
2008.08.03 ▲
2008.08.03 ▲

人間と感情的な部分で深く関わりたくなくて、ある人に悲しい思いをさせてまして。
僕としては、こういう風に生きてる時の方がすごく楽です。意俊也。65DaysOfStatic先程のコメントは私信についてのものです。桜居65DaysOfStaticもし見当違いなことを言っていたらごめん。
君は書くべきだ。書かずにはいられないのなら書くべきだ。その衝動に正直になるべきだ。誰のためでもなく自分のために。そのと桜居