えらい重要な事を書き忘れていましたが、国立新美術館、略して新美は、コレクションを持たない、常設展のない美術館です。公募展のような形をとり、基本的に他の美術館や作家から、学芸員の企画とか、上からの要請とか(ぇ)にそって作品を借り、それを展示する機能しか備えておりません。通常、美術館や博物館は、「保存」「研究」「教育」の3つの機能があると言われていますが、その「教育」の機能しか持たないのです。
渋谷文化村のエッシャー展でも似たような事を書きましたが、その方が自由に(文化村の場合、結構無節操に)企画をし、作品を集められる、自分のとこのコンセプトに縛られる事がない、という利点はあります。だからこそ、これだけ広範囲の作品を集められたんでしょう。ここ以外のどこの美術館が、印象派からモダンアートまで全部並べます?(ああここも無節操なのかもしれない)(でも今回の展示は好きだ……)
しかし、そのコレクションを持たない事があだになってる部分もあるそうです。
まず、3つの機能のうち1つしか持たない、民間のギャラリーのような事を国でやる必要があるのか、って事で相当叩かれてる様です……。
それと、収蔵庫が狭いそうで。普通の美術館なら、コレクションを保存するための大きな収蔵庫をもち、そこから定期的に常設展の展示替えをしたりするんですけど、新美はコレクションを持たないから、これから展示するものや展示が終わったものを一時的に収蔵する程度の収蔵庫しかないらしく、今回のように、普通の展示室3つをぶち抜いた規模の大きな展示をするには、あまりに狭すぎたようです。姉妹館の国立東京博物館だったか国立西洋美術館だったかに、一時的に置いてもらったりして、どうにかしたそうですけれど……。
あと小ネタっぽいですけど、モダンアートの展示室に転がってる……いや展示されてる木材、データでは高さ3mだったのに、実際運搬してきたら4mだったらしく、危うくトラックに積みきれなかった所だったり、作家さんが来て展示の仕方を確かめた時にごたごたと壁に立てかけてみたりした様です。……本当は全部床に転がしたかったのね……。そうするにはあの部屋は狭い……いや、展示室自体はえらく広く取ってあります。ほぼ全ての壁が移動可能で展示室の広さは調節できる様です。しかし、モダンアートの作家さんたち、協力的だったみたいで。
普通作品をお借りする時は、断られる事も見込んで多めに依頼するらしいんですけど、どうやら殆ど断られなかったんでしょうねぇ……。つまり作品数が多いから、大変濃いい……失敬、密度が高いと同時に足の踏み場に困ります。大きな作品だからと後ろに下がりつつ見ようとしたりすると、うっかり他の作品を踏みそうになります。床に布がぁぁぁ。尖った石を蹴りそうになるしね……大鋸屑は吹き散るしね……レタスはしなびるしね……モダンアートって楽しいけど大変だなぁ……。
あと、キャプションの付け方がアレでした。作品を見る邪魔にならないように、近場の壁に貼ってあるんですけど、どれがどれだか判らない。
邪魔にならないように、という配慮は素敵だと思うんで、キャプションの位置はそのままで良いから、展示室の見取り図書いて、作品に番号振って、キャプションのそばに貼ればいいと思うんですけど。うーん。ダメなのかな。

2007.02.04 
国立美術館としては30年ぶり、しかも東京に設置される、というのは50年ぶりらしい国立新美術館に、東西美術史演習の一環として、行って参りました。
新美は乃木坂駅からほぼ直通、雨が降っても傘要らずな通路で繋がってるんですが、総武線快速を使ったために日比谷線六本木駅に降り立ち。
そして例によって例の如く、迷子に。3:30には六本木駅についたのに、美術館着は4:10。ルネサンス期美術専攻の俗称「赤鬼」助教授に「またか」的なにやりとした笑いで迎えられました(爆笑)
中身は、新しい美術館らしい初々しさで満たされてる気分です。(何)
まず、建築は全く判ってない人なんで何とも言い難いですが、なんかモダンアートちっく。鉄骨とむき出しのコンクリートとガラス張りと、そうした工業的なものとはおよそ対極的な柔らかなライン。1、2、3階までの高い吹き抜けです。
入っていくと、広いオープンスペースに3つもカフェがあり、そのエントランスともロビーとも言い難いスペースからそれぞれの展示場へ行けるという形。展示室内にまで珈琲の香りが漂ってきて、珈琲好きには嬉しいんですけど、アレ、美術館的にはどうなんでしょう。作品に珈琲の匂いがつきそう。床は絨毯で、足音が響きません。静かに展示を見たい人には嬉しい配慮かも。
で。建物のオープンなデザインだけでなく、スタッフみんな初々しい。新しい美術館らしい初々しい守衛さんに、「授業の一環で見学に来ていて、後で学芸員の方にお話を伺うんで、チケットに再入場可のスタンプを捺してください」的な事を言ったら、初々しい感じに慌てふためきスタンプを捜し、発見できず、結局「再入場可」のサインをしてくれました。ああ初々しい。
構想に関してはぶっちゃけ公式サイト行ってみた方がよく判ると思われ。ミもフタもなく言うと、「物質と人間の関係」というテーマですが、とんでもなく広い視野を持た展示だと思います。そして、3つの章、そのうち1章2章は各2セクションあるから、計5セクションあり、それぞれ構成、作品数、作品の質、どれをとっても現在そうそうやれるようなもんじゃないようなレベルで、この企画だけで普通の美術館の企画展が5つ出来るでしょう。
ナカミ。
展示室内は、部屋によりますが、おおむね暗かった。シュヴィッタースの「メルツ」のある辺りは、特に。「メルツ」詳細は後述。
最初にどーん、とセザンヌを、しかも壁一面にそのセザンヌの静物一枚だけ持ってきてるあたり、いい度胸してます。僕は食わず嫌いレベルでセザンヌが嫌いですが。正しい遠近法に則ったルネサンス美術も別にそれほど好きじゃないけど、セザンヌの破壊の仕方が姑息に見える。いっそピラネージの様に皮肉と狂気を込めてやってくれ。とか。
さてさて。あまりの作品数の多さに既に記憶が曖昧です。(お待ち)
やはり新聞や雑誌などの広告などのコラージュの多いダダイスムの展示には力を入れてた模様。前述したシュヴィッタースの一連の「メルツ」が壁二面くらいを覆っています。「アンナ・ブルーメ」が見られます! 幾分暗くて観辛いですが、素材が紙、それも雑誌などの粗悪なものが多いから仕方ないんだろうなぁ……。
そういう訳でデュシャンも凄かった。えらい量あった。レディ・メイドが見られますぜ。ははは。確かに、写真術によって写実が意味をなくしたように、大量生産や版画(シルクスクリーンとかリトグラフとか)が発達したことで絵画にも抱くべきだ、というのは啓蒙的といえば啓蒙的なんですが……有名どころって何故だか食わず嫌いしてしまう。
しかしダダイストのほとんどがその後シュルレアリストへ転向したというのに、シュルレアリスムの展示はさほど充実してはいません。モノ(特に工業・大量生産と結びつく、横溢する物質)と、それに対する人間の立場や感性を主題としているためでしょうね。シュルレアリスムはモノより精神や心理、そして狂気を主題とし、彼らの標榜するオートマティスムは、狂気/深層心理から溢れ出るものをそのまま写し取る目的のための手段であり、工業のオートマティスムではないんで。
それでもマン・レイ、アンドレ・ブルトン、キリコ……と有名どころだらけです。わーい。シュルレアリスムは有名どころも好きです。食わず嫌いでも何でも、こればっかりは食わないと論文が書けなかったから。で、食べてみたら結構面白かった、と。やはりシュルレアリスムも幾分ダダイスムのように量産品を利用する・パロディ化する試みがあって楽しい。シュヴィッタースが屑篭から作品を切り出したように、目の前にある屑からもっと高次の現実を志向する。
ただ、キリコが分散してましたね。各セクションのテーマを重視した展示で、作家名重視の「客寄せ」的展示でない証左といえなくもないけど、うーんうーんアレは一緒に置いて良かったと思います……。そして、あれ、えーとどこ所蔵の何だったっけ、記憶が曖昧ですが、シュルレアリスムから離れて展示されてた作品は、多分……最盛期のキリコじゃないような気がします。贋作ではないでしょうけど、最盛期でもなさそう。つまり、キリコがキリコ自身の模作をしてた頃のじゃないかな、と。あくまで、憶測。ともすると妄想or勘違い。
中盤からはモダン・アート。嗚呼現代美術って、理解できない。理解できないけど触ってみたい……。絵具の飛び散った線とか、絵具以外の物質を用いた「絵画」とか、鑑賞者がその指を触れることを誘っているようにしか見えません……。
モダン・アートはケタ違いにでかい作品揃いです。それ以前の作品が比較的小さくまとまってて、高い天井に不釣り合いなほどだったのに、今度は逆に天井が低く感じます。おおう。人間の眼って不思議。4mの木材とか、転がってます。
「食の構造」だったかなぁ、正しいタイトルは忘れましたが、高さ30cm程の直方体の石にレタスが刺さっていて、その石の足元には大鋸屑が散らばってます。人間がものを食べて、それを排出する構造を表わしているのでしょうか。
しかしレタスがしなびてます。しなびてるんです。黄色いんです。カタログではしゃきっとしてるのに……!!後で学芸員の方から聞きましたが、レタスは3日に一度しか交換しないそうです。しゃきっとしてるタイミングを狙った方が良いかと思われ。

食べ物、着る物、使う物、今や手仕事によるモノは極端に見られなくなり、それらは高雅だとか、暖かみがあるとか、もてはやされはするけれど身近ではなくなりました。モノをこれだけ必要としながら、モノを自分で作る事ができなくなりました。僕は時代がそうなってから産まれました。
僕はもうモノでもって現実をパロディ化したり、下らないモノに現実より遥かに確かなモノを求めたり、しません。僕は消費する意識もないまま、消費するだけです。何かを得たという実感も持ち得ぬまま、僕はそれを失うでしょう。モノはもはや身近な他者になりえない。

後に行けば行く程時間に追われ、駆け足で過ぎていってしまいました。嗚呼ゆっくりみたかった。書きたいことも、もっとたくさんあるけど、疲れからか頭痛がしてきました(死)
来月中旬までこの展示はやってます。新美はイロイロ問題のある美術館ですけれど、この展示はおすすめします。
んで、タダ券、余ってるらしくって、先生に頼めば貰えます!早い者勝ちなんで欲しい人は僕にメール下さい。

2007.02.02