もはや朝だ。ナチュラル・ハイだ。そしてレポートは結局1本も書けなかった。0.5本くらいだ。あり得ねー。

今半分くらい書いてるレポートは「歴史とは何か」って事がテーマらしいんで、10分程度で考えた本音をぶちまけよう。
「歴史学とは何か」。
辞書には、「歴史研究の本質を究める学問」とかマトリョーシカのような事が書かれてる。アホか。
そもそもその歴史研究の史料たるもの、今まで世界に起きた事象起こらなかった事象取り混ぜて書き留められてきた膨大な記述は、現存するものより失われたもののほうが多いのではないだろうか。そんな書いても書いても風化して消え去ってく不毛な作業にどんな意味があるんだ。
………。
取り敢えず3分考えた答えだ。読め。いいから読め。
残しては失われてゆき、時間の流れの中で風化して忘れ去られたものも多くあるはずなのに、それでも歴史、言い換えれば人間の軌跡が何故執念深く残されて来たかと言えば、アレだ、ソシュールだ、記述する事に意味があるんだ。
といっても、「どんな駄作でも造る事に意味があるのよ〜」なんて小学校の図工の先生のような白痴じみたアホな事を言うつもりは毛頭ない。
ソシュールによれば、まず思考があってそれを記述する、というのは誤りで、記述する事によって初めて思考が明確に存在し得る。そしてその思考は、今・現在に於いて有効でなければならない。さもないとタダの夢物語か基地外の妄言だ。そもそも社会批判たるべき歴史学に関しては、更に制限が加わって、この世界の事象の分析や批判、或は提言でなければならない。

要約すると、歴史学っていうのは、ロックの精神なんだよ(違)

以上。明方ハイテンション。

2006.07.23 
いろいろ信じられない事ばかりだ。明日も世界が存在するなんて、とても信じられない。
そもそも、今日と明日は連続してるのに、何故区切ろうとするんだろう。
でも頭では、時間は連続したある広がりに過ぎないと判っていても、時間を区切って考えてしまう、刷り込まれたというより習慣や惰性でもって教え込まれ馴らされたこの固定概念の悲しさ。

ヤダね。もう。いい加減、常識に喧嘩売るヒネた感性をどうにかしたい。

2006.07.12 
昨日は友人とメッセで旅行の相談をしていたんですが、それが一段落したら何故か「イデアとは何か」や「人間の定義」や「構造主義って、何?」って話になってました。
何故そうなったのか、果てしなく、謎。流石哲学系(友人)と歴史系(自分)……無駄に理屈をこねると言うか何と言うか。
イデアの話なんかは私が「認識」とか「概念」とか近代的な用語を使うから訳分からなくなってしまいまして、本当にすみません。そもそも時代を遡行して概念を当てはめちゃダメって言ったのは私なのに。でも私にはイデアなんて物がまずよくわかってないから、理解の為には現在において一般的な概念から入っていかないと無理なんだよぅ。(言い訳)
ところで、「物体Aの認識方法としての概念=イデア」なら、何故「人類の目指すべきホライズン」なんだろうね。今度I助教授に訊いてみよう……。
で、人間のイデアについての話になったんだっけ。人間のイデアは言語に在りや無しや。でも言語ってものの定義も曖昧だから困った。文法が無い言語は言語かーとか。母語なんかは日常は文法を意識しないから無いに等しい気もするし。日本語は一時期、確か明治頃だったかな、西洋の言語を輸入した時に、日本語も文法を整えようとしたとかしないとかで、結局「日本語に文法は無いから、それはムダ」って結論に達してしまったとかいう話を以前聞きまして、それも交えて話をしてましたね。
で、言語の定義から構造主義へ走ったんですね??うちの学科は左寄りが多いから、どうも構造主義に批判的。でも私は構造主義とは何ぞや、って時点で訳分かってない。困ったから、瑞月様に教えてもらった。
違う構造の物を、同じものさしで比較してはダメで、その構造自体を体系づけて理解していかなければならないって考え方……ですよね???(何かよく判ってない)
それなら真っ当な考え方に見えるけど、それが現実社会で受け止められていった時に、体系からはみだす存在、マイノリティを無視してしまうか、或は彼らに体系に当てはまる事を強制してしまうかのどちらかをしてしまった、という事で、うちの学科の先生方は構造主義に批判的な様です。訳分からん。
19世紀末オーストリアに足つっこむんなら、押さえておかなきゃならない思想なのに、よく判らなかった……orz
頑張って理解します。まずは瑞月様に教えてもらった本を読んでみよう。

そんなこんなで普段使わない頭を使いすぎて、今日は眠いです。腹もイタイです。

2006.07.03